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広島県の島々(3)
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2012年1月26日広島の探偵
広島県の胡子講「えべっさん」

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広島県の島々(3)

名物探偵Xです。
今回も引き続き、瀬戸内海に面した広島県の島々の話をしたいと思います。

「向島」は尾道市に属していて、「尾道水道」の対岸にある尾道市街へ通勤・通学する人のための渡船が頻繁に運航されています。
「尾道水道」は尾道の中心市街地と「向島」を隔てている細い海峡です。

さて、とても興味深いのが「ホボロ島」です。
名前からして変わっていますよね。

「ホボロ島」は無人島で、2005年に安芸津町が東広島市に編入されたのを機に現在は東広島市に属しています。
地元で「ホボロ」と呼ばれる竹かごを逆さにしたような形をしていることから名付けられました。

島全体が凝灰岩からなっているのですが、それがワラジムシ目コツブムシ科の「ナナツバコツブムシ」という生物によって侵食されていることが、広島大学名誉教授の調査で判明しました。

「ナナツバコツブムシ」じゃ体長約1cmほどの虫で、ダンゴムシやワラジムシと同じ仲間です。
海中のプランクトンや魚介類の死骸などを餌にしていると考えられています。
風化してもろくなった島の凝灰岩を、下あごの硬い歯でかみ砕いて、巣穴を掘って生きているのですが、これによって「ホボロ島」は侵食されているのです。

地形の生物侵食は日本国内ではたいへん珍しいことで、100年後には島自体が消滅してしまうとも言われています。

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2012年2月29日 | コメント/トラックバック(0) |

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広島県の島々(2)

さて、わたくし名物探偵Xが今回お送りするのは、引き続き広島県の島々についてです。

広島県が面する瀬戸内海には大小さまざまな島が浮かんでいるので、そのいくつかをご紹介しましょう。

中でも広島県に含まれている代表的な島々について取り上げたいと思います。

まずは「因島」です。
この島は、かつて広島県にあった市でもあったのですが、2006年に尾道市に編入。
産業はミカンや八朔など、柑橘類の栽培が盛んです。
また、この島出身ミュージシャンにポルノグラフィティがいることで有名です。

「大崎上島」は、瀬戸内海最大の離島。

「生口島」は、異色の島。
地名には諸説ありますが、島そのものが「神の島」と古くから言われています。
神を祀っている島で、神を「いつき奉る島」の「いつき」が「いくち」に変化したとされています。
今から1800年前頃、邪馬台国が魏に朝貢として「生口」(=特別な技能を持っている者・集団など)を贈っていたという、その「生口」が滞在していた島であったという説もあります。
重要文化財の観音像「耕三寺」が建っていることで有名。
尾道市に属しており、「生口橋」で「因島」と、「多々羅大橋」で「大三島」とつながっている島です。

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2012年2月22日 | コメント/トラックバック(0) |

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広島県の島々(1)

どうも、全国各地の名産品や観光地などを探っている名物探偵Xです。
今回は広島県の島々についてふれてみたいと思います。

瀬戸内海は、本州、四国、九州に挟まれた内海です。
山口県、広島県、岡山県、兵庫県、大阪府、和歌山県、香川県、愛媛県、徳島県、福岡県、大分県が面していて、沿岸地域を含めて瀬戸内(せとうち)とも呼ばれています。

皆さん、瀬戸内海という言葉をどこで区切ると思われますか?
瀬戸内海は、「瀬戸内」+「海」ではなく、「瀬戸」+「内海」というふうに区切ります

瀬戸内海は「瀬戸内」の「海」という意味ではなく、「瀬戸」地方の「内海」であることを示しています。

瀬戸内海は、古来より畿内地方と九州とを結ぶ航路として栄えてきました。
気候は瀬戸内海式気候と呼ばれていて、温暖で雨量が少ないのが特徴です。

また、瀬戸内海には大小さまざまな島が点在していることでも知られています。
その数、何と3000!
無人島や、島の周囲が数mしかない小さな島もその中には含まれています。

うち、広島県に属している島で、代表的なものが「因島」、「大崎上島」、「生口島」、「向島」、「ホボロ島」、「倉橋島」、「能美島」などです。

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2012年2月15日 | コメント/トラックバック(0) |

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がんばれ広島東洋カープ

名物探偵Xです。
その土地にはそれぞれ名物あるものですが、何も食べ物とばかりは限りません。
スポーツも立派な名物。

特に野球は昨今、地方に拠点を置くプロ野球球団がありますが、そんな中でも古くから広島に拠点を置いているのがセントラル・リーグの広島東洋カープです。

広島東洋カープが球団として設立したのは1949年、原爆投下による壊滅的な被害からの復興シンボルとしての意味合いが強かったようです。

球団名は広島市を流れる太田川が鯉の産地であり、原爆で焼け落ちた広島城が「鯉城」の別名を持っていたことから英名の「カープ」が付けられました。

親会社のない、市民球団として発足したことは、他球団でも例のないことでした。

また、「赤ヘル」でも知られるチームカラーは、1975年、当時のジョー・ルーツ監督のアイディア。
帽子を赤一色に変えたのがその由来なのだとか。
1977年以降はホーム用のユニフォームに赤と白を基調としたデザインが用いられています。

ただ、球団旗は40年近く紺に白で「H」と描かれていて、このシンプルなデザインに赤が用いられたことはありません。

日本シリーズ制覇は1984年、リーグ優勝は1991年、Aクラス入りは1997年の3位が最後と、最近ではあまり成績が芳しくありません。

ぜひとも今年は好成績を残して欲しいものです。
がんばれ、広島東洋カープ!

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2012年2月10日 | コメント/トラックバック(0) |

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広島県の胡子講「えべっさん」

日本全国には色々なお祭りがあるものです。
それは市町村の大きさには無関係で、どんなに小さな町や村にもお祭りがあり、しかもそういった小さな町や村のほうが、奇祭と呼ばれる祭りが綿々と受け継がれていたりするのです。

また、祭りの種類にもさまざまな種類があります。
山車がメインのもの、踊りが主体のもの、行列が主体のもなどなど……。
中には、はたから見るととてつもなく奇妙奇天烈な慣わしで、今となってはどんな由来があるのかさえもさっぱり分からないというような祭りも(笑)

そして、今回取り上げる広島県の「胡子講」(えびすこう)のように、商売そのものが主体となっているような祭りもあります。

「胡子講」の正式名称は「胡子大祭」(えびすたいさい)で、その愛称を「えべっさん」と言い、広島県広島市中区の胡子神社で11月17日から4日間行われています。

「胡子大祭」では商売繁盛の縁起物が飾られた熊手が売られ、えびす通り商店街では大売り出しが行われるのが最大の特徴です。
付近の商店やデパートでも一斉にバーゲンが催され、毎年10万人以上の集客があります。

厳島神社の「管絃祭」や、中央通りで繰り広げられる「とうかさん」などと並び、「広島三大寺社祭り」に数えられています。

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2012年1月26日 | コメント/トラックバック(0) |

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広島県の「とうかさん」

全国の観光地や地名を調べていると、ときどきどんな意味があるのだろうかと、首を傾げたくなるような名称に出会うことがあります。

申し遅れました。
私、各地の名所旧跡について調べている名物探偵Xです。

今回は、私も興味津々の広島県の「とうかさん」をご紹介したいと思います。

「とうかさん」は広島県広島市にある日蓮宗の寺院と、稲荷大明神の祭礼を意味しています。
寺院の正式名称は「福昌山 慈善院 圓隆寺」(ふくしょうざん じぜんいん えんりゅうじ)です。

「圓隆寺」は1619年(元和5年)に創建されました。
「とうかさんは」、この寺の別名であると同時、毎年6月に行われている夏祭りの名称でもあります。

「とうかさん」は、寺の鎮守で、法華経を守護すると言われている稲荷神のことを指しています。
稲荷を「とうか」と音読みしたのがその語源なのだとか。

1945年(昭和20年)には戦時中でも「とうかさん大祭」が開かれていましたが、8月6日の原爆投下によって寺院は失われ、1946年(昭和21年)に再興されました。

「とうかさん大祭」は「広島三大祭り」の1つにも数えられ、毎年6月の第1金曜日から3日間、「圓隆寺」を中心に行われています。
広島ではこの祭りがその年の浴衣の着初めの日でもあり、初夏の風物詩となっています。

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2012年1月19日 | コメント/トラックバック(0) |

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広島県のお祭り「ひろしまフラワーフェスティバル」(2)

お祭りって、どうしてあんなにワクワクするんでしょうね。
全国の名所旧跡をリサーチしている名物探偵Xです。
さて、今回も引き続き広島県のお祭り「ひろしまフラワーフェスティバル」をご紹介します。

「ひろしまフラワーフェスティバル」は、毎年5月3~5日、広島県広島市平和大通りと「広島平和記念公園」の周辺を会場として開催されているお祭りです。
動員数は毎年100万人超。
でゴールデンウィーク期間中に開催される祭りとしては最大級の規模を誇ります。

お祭りのメインとなっているのは、開催当初からのイベントである5月3日の花車と行進の総合パレード。
そして、2002年から行われている5月5日の「きんさいYOSAKOI」です。

3日12時、「花の塔」への点火がお祭りの始まりの合図。
平和大通り沿いに設置されたたくさんのステージには、有名人なども立ち、祭りをにぎわせています。
また、そうしたステージの名前にはそれぞれ花の名前が付けられているのだとか。
日程としては、5月3日に総合パレード、5月4日にイベント、5月5日に子供の日パレード、そして「きんさいYOSAKOI」が行われることが多くなっています。

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2012年1月12日 | コメント/トラックバック(0) |

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広島県のお祭り「ひろしまフラワーフェスティバル」(1)

お祭りにあわせて帰郷する人も多いかもしれませんね。
こんにちは。
全国の名所旧跡をリサーチしている名物探偵Xです。

今回は広島県のお祭り「ひろしまフラワーフェスティバル」をご紹介します。

「ひろしまフラワーフェスティバル」は、は広島県広島市平和大通りと「広島平和記念公園」の周辺を主な会場に、毎年5月3~5日にかけて開催されているお祭りです。
動員数は毎年100万人を越えており、「博多どんたく」や「弘前さくらまつり」と並んでゴールデンウィーク期間に開催される最大級の催し。

ちなみに、1975年、平和大通りで広島東洋カープのセ・リーグ優勝パレードが行われたときには、当時としては驚異的な30万人を動員しています。
これを受ける形で、商工会が「市民が参加できる祭りを……」と開催されるようになったのが「ひろしまフラワーフェスティバル」なのだそう。
祭りは1977年から始まっています。

祭りが開催されるようになった当初から「ミスフラワー」が3人選出され、祭りにその名のとおり花を添える役目を担っています。
1991年以降にはミス・コンテストへの批判があったことから「フラワークイーン」に名称が改められています。

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2012年1月5日 | コメント/トラックバック(0) |

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広島県福山市の「福山城」(4)

数回にわたってご紹介してきた広島県福山市の「福山城」のリサーチも、今回が最後です。
このたびも名物探偵Xがお届けします。

明治維新後の廃藩置県によって「福山藩」が「福山県」となってから、その後、福山城は1873年(明治6年)の廃城令により廃城とされてしまいました。
これによってほとんどの施設が民間に払い下げられ、建物は建築資材として解体、売却されました。
廃城から間もなく、建物は天守と伏見櫓、筋鉄門、御湯殿、鐘櫓、涼櫓などが残されるのみとなってしまったのです。

さらには、太平洋戦争も末期の1945年(昭和20年)の米軍の空襲「福山大空襲」によって天守、御湯殿、涼櫓など城下に現存していた多くの文化財も共に焼失することとなりました。

戦後、焼け野原となっていた福山市街は、区画整理によって町名を変えました。
本丸はしばらくの間は荒廃した状況が続いていましたが、二の丸には住宅が少しずつ再建されていき、三の丸は再び市街化していったのです。

1964年(昭和39年)には本丸・二の丸が国の史跡に指定され、民有地だった二の丸は買収される運びとなりました。
1966年(昭和41年)には福山市の市制50周年記念事業として、天守や月見櫓、御湯殿が復興されたのですが、その一方で1971年(昭和46年)には小丸山の大半が市の造成で破壊されるといった開発も進められたのです。

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2011年12月28日 | コメント/トラックバック(0) |

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広島県福山市の「福山城」(3)

名物探偵Xです。
このたびも日本の名所旧跡として、引き続き広島県福山市の「福山城」についてお話したいと思います。

「福山城」は国の史跡に指定されており、「日本100名城」にも選ばれています。
今回はその歴史についてふれてみましょう。

「福山城」が築城されるまで、この地には「福山」と呼ばれる街はありませんでした。
「福山城」の周辺は「杉原保」と呼ばれ、古代から荘園として栄えていた土地だったのです。

安土桃山時代には「野上村」と改称されて、「福山城」が建つ丘陵は北側から連なる山並みの先端部にあり、「常興寺」と呼ばれる寺が建てられていました。

しかし、この「常興寺」は築城の際に城下の北部に隣接する吉津村に移されて、野上村は城下の南西の新開地に移されたのです。

「福山」という地名がつけられたのは、干潟であった南側が干拓されて城下町が開かれてからのことでした。

幕末になると、徳川譜代であった福山藩は、王政復古により新政府軍(長州軍)に朝敵と見なされ侵攻を受けるなどします。

その後、「福山藩」が「福山県」となったのは、明治維新後の廃藩置県によるものでした。

――たった一つの城にも、数百年という時の中にさまざまな歴史の荒波がのぞけます。

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2011年12月21日 | コメント/トラックバック(0) |

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